度会家行の「類聚神祇本源」に「志す所は機前を以て法となし、行ずる所は清浄を以て先と為す」と言っている。機前とは、一にで言うなら、日が出て鶏が鳴き出す、人間世界のいろいろな営みがはじまる、こういう働きを機と言うから、その前で、暁であり早朝である。「安岡正篤一日一善」より